江戸の学問
内山真龍資料館に行ってきました。
天竜川の上流。
山の中です。
写真は、国学者である内山真龍の生家の長屋門。
江戸時代中期の名主級屋敷の門なのだそうです。
生家がそのまま資料館になっています。
内山真龍(うちやま またつ、1740年1月29日(元文5年1月1日)- 1821年9月18日(文政4年8月22日))は江戸時代の国学者。遠江国豊田郡大谷村(浜松市天竜区大谷)に生まれました。真龍は、病身の父親に代わり、21歳から大谷村の名主を勤めました。学問が好きだった真龍は、忙しい仕事のかたわら賀茂真淵に入門するとともに浜松の渡辺蒙庵、本居宣長の弟子の田中道麿にも儒学を学びました。真龍は本を読んで研究するだけでなく、実際に現地調査を行い、多くの本を書いています。真龍の82歳の生涯は、名主として大谷村の発展に尽くすとともに国学の研究、弟子の育成につとめました。遠江における国学の基礎を築いた人です。
国学;儒教、仏教渡来以前の日本固有の精神文化を明らかにすることを主たる目的とする。
田舎の国学者? でも、そんな人がたくさん江戸時代にはいて、学問を広げて、日本人の教養を高めていったのだと思います。
江戸の学問(終わり)